小生がウォーキングを始めるようになったのは、三年ほど前に高血圧から体調を崩し、入院を含めて、二ヵ月の自宅療養をした時からのことである。原因は単身生活や環境の変化に伴い、知らず知らずのうちにストレスが蓄積されていたためのようである。
このままでは自分の身体が駄目になってしまうと思い、健康維持とストレス解消のために、何か運動を・・・と、真剣に考えたのである。
若い頃には下手なバトミントンで、少しは足腰を鍛えていたことはあるが、けっこう激しいスポーツであり、今さら始めても、健康維持やストレスの解消には却って逆効果になってしまう。何が効果的なのか、また、一人でも出来、「継続は力なり」と言われるように、持続して行えるものでなければ意味がない。そこで、「人間歩くのが基本である」という原点に立ち、ウォーキングを始めることにしたのである。
実践している人も多く、手軽に出来ると思い、いざ始めてはみたものの、ウォーキングなどと、高を括ったものではないことが直ぐに分かった。
朝早く清々しい空気の中を歩くことにし、初めのうちはもの珍しさもあり楽しく感じられたが、早起きするのも辛く、継続していくということが如何に難しいものであるかが分かり、もう止めようかと何度思ったことか・・・。
しかし、三日坊主で終わるのも癪の種であり、それ以上に自身の健康のことが頭から離れず、もう一日もう一日と頑張っているうちに、歩かない日は心身共にどことなくすっきりせず、その日一日が調子悪く感じられるようになっていたのである。
そうこうするうちに、ウォーキングの良さなるものが徐々に身体全体で分かるようになり、一〜二ヵ月後には、朝目覚めると自然に身体がウォーキングに向かうようになっていたのである。
雨上りの空気の澄んだ朝は菱ケ岳、五頭山、二王子などの越後山脈や更にその奥にある飯豊連峰の稜線が、青空をバックに鮮やかに望まれ、その稜線上から朝日が顔を少しずつ覗かせてくる時などは、その神々しさに、頭のてっぺんから足の爪先まで洗われる思いがするのである。
白雲が山の中腹に棚引いているような時は、背景の山襞の暗緑色とのコントラストに、えも言われぬ美しさがあり、山水画の幽玄の世界に浸っているかのような気持ちになってしまうこともしばしばである。
また、幾重にも折り重なった稜線上にもくもくとした雲塊があり、それが、朝日に照り輝き明暗がはっきりしている時の光景は、あたかも美しい巨大なオブジェが置かれているようでもある。
毎日毎日の筆舌に尽くし難い美しい光景や情景を、一人で楽しみながら、歩いているのである。
一年を通して歩いていると、日々の変化の面白さは勿論、以前は季節の変化など余り深く考えもしなかった自分であったが、日の出の位置が南に北に少しずつ変っていく様や、稲や野菜、道端のあらゆる草花が日一日と伸び、色取り取りの花を咲かせ、実を結んでいくのもよく分かり、今では季節の移り変わりを敏感に自分の身体で受け止められるようになり、毎日毎日が気持ちよく過ごすことが出来るのである。
瓢湖は白鳥の飛来地として有名であり、その他多くの水鳥の宝庫でもある。草叢の中から聞こえる小鳥のさえずりも、耳を楽しませてくれるのである。
湖畔は、春先の黄色く咲くレンギョウの花に始まり、桜につつじ、夏はあやめ、紫陽花、芙蓉の花、湖面を覆い尽くす程のハスの花、秋にはコスモスの花等々が美しく咲き誇り、四季を通して目を楽しませてもくれるのである。
斯様に四季折々さまざまであり日々の光景、情景が目や耳を楽しませ、胸躍らせてくれ、心身ともにリフレッシュさせてくれるのである。
日の出時分に歩き始め、農道から瓢湖畔を回り、小一時間程度、歩数にして六〜七千歩余りである。
マイペースで歩いているが、運動効果を上げるために歩幅を広く、出来るだけ速く歩き、時には競歩のようにして歩くこともある。
ウォーキング後の朝食は勿論、一日の食事の美味しさは、格別である。
お陰で、身体もすこぶる快調、血圧も安定するようになり、肩凝りや腰痛なども気にならなくなり、出っ張り気味だったお腹も引き締まる等々、良いことずくめのウォーキングである。
ウォーキングの良さについて、ある運動生理学者が次のように述べている。『身体のたくさんの筋肉が歩調に合わせてリズミカルに活動し、エネルギー代謝を盛んにし、同時にこの動作は筋肉中の血液を押し出し、血液の循環をよくしてくれる。だから、心臓や肺の動きが盛んになる。また、歩くことで目に映る場面が次々と変わり、それが脳の働きを活性化してくれる。』と。
是非、皆さんもウォーキングで心地好い汗を流してみては・・・。
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